私がコーランを見ていると、右の写真奥のほうにに写っている、中東から来たらしい家族連れのお父さんが話しかけてきました。
このコーランは約300年前のオースマントルコのもので、全部手書きであること、金箔をはりつけていることなどを説明してくれました。
朝食のイスカンダルさんの時もそうでしたが、私にもう少し英語力があれば、もっといろいろなことを聞くことができたと思います。英語をもうちょっと頑張って勉強しなければ...と思った一日でした。
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朝食バンサーで食べてから行く予定だったのですが、少し遅くなってしまって、バンサーの駐車場に車を止めることができなかったので、直接バタフライパークに行きました。係のおじさんに、食事をすることができるか聞いたのですが、飲み物しかないとのことで、近所で食べられるところを紹介してもらいました。そこはマレーの代表的なコピティアムで、英語がほとんど通じませんでした。
このおじいさんの名前はイスカンダルさんで、今年77歳。シンガポールで生まれたそうです。1942年、当時7歳だったおじいさんは、ハタオカさんという日本人と知り合いになったそうです。ハタオカさんは、カリフォルニアで学んで英語が堪能で、日本のことをいろいろ教えてくれたそうです。ハタオカさんが日本に帰るときにたくさんのレコードをくれて、日本の歌を覚えたといって、「富士」や「さくら」など5曲ぐらい歌ってくれました。
私も日本に同じハタオカという友達がいると言ったらニコニコしてハタオカさんの年齢を聞いてきました。47歳だと答えると、「私の知っているハタオカさんは、今生きていれば90歳位だから、違う人だね。」と、ちょっと寂しそうでした。帰り際に「今日聞いたあなたの名前を明日には忘れてしまうかもしれないが、小さいときに覚えたことは忘れないものだ。」と言っていたのが印象的でした。
食事が終わると、また同じ店でお弁当を買っていきます。本当は、お昼に休み時間が1時間半あるので、近くで食べてもよいのですが、試験会場の近くにハラルの店がないので、このようにしています。
右の写真は、日本語の試験が終わった後の昼食の時のものです。リラックスしているように見えます。
EJUが終わったと思うと、もう火曜日からは中間試験が始まります。AAJ終了の資格を得るための重要な試験の一つです。学生たちはほっとする間もなく次の試験に向けて勉強をしなければなりません。
マレーシア生活も、最初のうちは中古車屋さんとの交渉をしたり、子供たちが体調を崩して救急で病院に行ったりと、英語を使う機会がたくさんありました。ある程度生活のリズムができてくると、職場はほとんど日本人、生徒に教えるのも日本語という環境で、英語を使う機会があまりなくなってしまいました。また、下の子は日本人学校に通っているので、日本の学校よりは英語を使わなければならない機会は多いのですが、ほとんど日本語で生活しています。
そんなわけで、我が家では、一カ月ほど前から英語の家庭教師に来てもらっています。女の先生で、妻と同い年、宗教も一緒ということで、話が合うようです。授業は週一回2時間ほどで、最初の1時間は妻と下の子が、残りの1時間は私と上の子が英会話を教わっています。
妻は主に料理のレシピや観光名所など、下の子は遊びを通した英会話。私と上の子は1週間の新聞記事から興味を持った内容を話し合っています。
新聞を読んでいると、現地の人でなければ分からないことがたくさんあります。たとえば、政府の職員募集に中国系の人が1000人以上集まったという話。この記事だけではその背景がわかりません。そこでディスカッションです。20数年前の暴動から始まったブミプトラ政策以来、政府の役人はほぼ100%マレー系で占められていました。ところが2年前の選挙で与党が14の州のうち5つを失い、それ以来少しずつ変わり始めたのだそうです。警察官もインド系が増えたとか、大学の受け入れ割合も変わったとか、小中学校の施設設備に予算がつくようになったとか...。
先生はインド系で、今の政府に批判的です。200年ほど前は、20万人前後しかいなかったマレーシアは、もとをたどればほとんどが移民です。マレー系もインド系も中国系も同じ時期に移住してきたのに、なぜ自分はインド人と書かなければいけないのか?私も、私の親もその親もそのまた親もマレー人なのに!昨日はそう言って怒っていました。
先生は、私にとってはマレーシア社会に開けられた窓のようなものです。差別されているということで、やや偏った面もありますが、この窓を通して、もう少し深くマレーシアを見ていきたいと思います。
そんなわけで、我が家では、一カ月ほど前から英語の家庭教師に来てもらっています。女の先生で、妻と同い年、宗教も一緒ということで、話が合うようです。授業は週一回2時間ほどで、最初の1時間は妻と下の子が、残りの1時間は私と上の子が英会話を教わっています。
妻は主に料理のレシピや観光名所など、下の子は遊びを通した英会話。私と上の子は1週間の新聞記事から興味を持った内容を話し合っています。
新聞を読んでいると、現地の人でなければ分からないことがたくさんあります。たとえば、政府の職員募集に中国系の人が1000人以上集まったという話。この記事だけではその背景がわかりません。そこでディスカッションです。20数年前の暴動から始まったブミプトラ政策以来、政府の役人はほぼ100%マレー系で占められていました。ところが2年前の選挙で与党が14の州のうち5つを失い、それ以来少しずつ変わり始めたのだそうです。警察官もインド系が増えたとか、大学の受け入れ割合も変わったとか、小中学校の施設設備に予算がつくようになったとか...。
先生はインド系で、今の政府に批判的です。200年ほど前は、20万人前後しかいなかったマレーシアは、もとをたどればほとんどが移民です。マレー系もインド系も中国系も同じ時期に移住してきたのに、なぜ自分はインド人と書かなければいけないのか?私も、私の親もその親もそのまた親もマレー人なのに!昨日はそう言って怒っていました。
先生は、私にとってはマレーシア社会に開けられた窓のようなものです。差別されているということで、やや偏った面もありますが、この窓を通して、もう少し深くマレーシアを見ていきたいと思います。
付属のカフェは、あまりおいしくないと評判ですが、ローカルの料理はまあまあいけます。
右の写真はトレーニングルームで、エアコン完備なので、快適なトレーニングができます。
このほかに、スカッシュコート・テニスコート4面・シャワールームにサウナが付いています。
私は、平日これらの施設を使う時間はとれませんが、家族は毎日のようにプールを利用しているようです。残念ながら飛込みができるほどの深さはありませんが...。
授業をあまり減らすわけにはいかないので、お祈りで授業時間数の少ない金曜日の午後2時間を使ってのイベントでした。教室ではあまり見せたことのないような元気な姿を見ることができました。
高校を卒業して親元を離れてたった1ヶ月の1年生と2年生とでは気合の入り方も全く違っていました。写真の綱引きでは、トーナメントの一回戦すべて2年生の勝利。総合成績でも上位半分は2年生で、1年生が上位に食い込むことはありませんでした。
昨年も同様な結果だったようで、1年生の時のこの悔しさが2年生のパワーになっているようです。
楽しいイベントも終わり、この後は中間テストと第1回EJU(日本留学試験)が待っています。本番の11月に行われる第2回EJUの出来を占う大事な試験です。ここからはまた勉強に集中してもらわなければなりません。
右の写真のように、イスラム教の彼女たちは、スポーツをするときもトドンをかぶっています。2年生はクラスごとにおそろいのトドンを作ったようです。私の担当するクラスは黒でした。白やピンクでそろえたクラスもありました。